正義の味方。

松阪牛

正義の味方は孤独です。


もうすぐ冬ですね。また、バイクねたで恐縮ですが、寒くなるとバイクはオフシーズンに入ります。なので、今のうちにいろんな所に出かけておこうと、今度は、松阪から伊勢神宮に行ってきました。写真は、松阪で食べた松阪牛の焼肉(うまかった~!)です。これで春まで、長距離ツーリングはお預けです。

テレビドラマやマンガ、小説、映画などなど。世の中には正義の味方を主人公とする物語が多く存在していますね。悪事を暴き、悪者を懲らしめる、その存在は実に痛快で、見ているものを爽快な気分にさせてくれます。

スーパーマンやスパイダーマン、ダイハード、ターミネーター(たとえがちょっと古いですが・・・)、挙げるとキリがないほど、沢山のストーリーが存在します。これだけあるということは、人は常に正義の味方を必要としているのかもしれません。

それと、正義の味方のヒーロー物には単純なルールがあって、エンディングが常にハッピーエンドでなければなりません。たとえハッピーエンドでなかったとしても、常に、エンディングがある事が必須条件だと思うのです。

勝敗が決まらず、常に戦い続けているヒーローは痛快でしょうか。完結しないストーリー、たとえば「また、ここから新たな戦いが始まる・・・。」で終わるヒーロー物は面白いでしょうか。恋愛ものや、推理小説なんかは、ストーリーが完結しなくても、見ている人に結論を委ねてしまう場合だって「あり」でしょうが、ヒーローはそうはいきません。

現実に帰り、仕事において、ヒーロー物に例えると、いろんなタイプの人を見かけます。仕事の為ならばと進んで悪役をかって出る人。一般観衆を決め込もうとする人。正義の味方であろうと心がけている人。などなど。

ここで問題としたいのが、この「正義の味方であろうと心がけている人。」になります。

考えて見ると、平和な世の中に、正義の味方は必要ないんですね。悪人がいて初めて存在意義があるのが正義の味方なんですから。この事に気付いていない「正義の味方」をたまに見かけます。

なので、正義の味方であろうと、日々奮闘している人は、自分の存在意義を見出すためにも、常に悪人を仕立てなげれば生きていけません。たとえば、プロジェクトチームや会社、それでもだめなら社会全体を悪人に見立て、それに相対することによって、自分の存在意義を求めようとします。

でも、そうそう、一般生活において悪を見つけることって難しいですよね。また、先に述べたように、ヒーローにはエンディングが必要だと思うのですが、社会生活においては、エンディングはありません。延々と日々が続く訳ですから。

人は、正義の味方を必要としているのに、現実社会では正義の味方を必要としていない。なんか正義の味方のヒーローであろうとすることは、孤独でとても難しい問題のように思われます。

では「正義の味方」をどうするか。

自分なりにいろいろ考えて見ましたが、ちょっと結論が出そうにありませんので、機会を改めて少し考えて見ることにします。

今回の「正義の味方」のエンディングは、皆さんに委ねたいと思います。

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