「三十にして立つ。四十にして惑わず」という言葉を聞いた事はありませんか?『論語』の有名な言葉ですが、「40歳になっても惑いっぱなしだよ」なんて会話が続きそうですが・・・改めて論語について学んでみようと思いました。
(2022年8月22日 企画推進室)
論語とは
『論語』(ろんご、拼音: Lúnyǔ)は、孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物である。儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つに数えられる。
その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた本の一つである。古くからその読者層は知識人に留まらず、一般の市民や農民の教科書としても用いられていた。
孔子というのは中国の思想家、哲学者ですね。中国の春秋時代(紀元前771年からおよそ320年に渡る期間)に活躍した儒教の始祖になります。
3000人もの弟子たちを率いて諸子百家(しょしひゃっか)の一家をなしたとあります。
諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称で「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物を指すという事です。もしかしたら、今で言う新興宗教だったのかもしれませんが後の世に大きな足跡を残した事は間違いありません。
孔子と弟子たちが交わした会話を、孔子の死後に弟子たちが約400年かけてまとめ、纂したのが『論語』となります。
『論語』の中には、孔子の考え出した真理や教えだけではなく、孔子自身の悩みや苦悩、弟子たちの迷いなども含まれており、人間的な部分もあります。
しかし、人として生きていくために大切なもの、人生を正しく、そして楽しく生きていくための指針が書かれています。
そんな『論語』をブログを通して学んでいきたいと思います。
学びの本質、明徳とは
「論語を学ぼう」とはじまりましたが、今回は『論語』と並ぶ儒教の経書である四書(ししょ)のうち『大学』(四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』の4つの書物の総称)からご紹介したいと思います。
ちなみに『大学』は孔子の主要な弟子の一人である曾子 が記した書物ですが、四書五経の最初に学ぶべきものとされているそうです。
物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則ち道に近し。
物事には本当に大切な事とそうでない部分があります。
そして、始まりがあって終わりがあります。
まず、本当に大切な事が何か、そして何から始めるべきかを知ることが、得たい成果にもっとも早くたどり着ける方法だという内容です。
ビジネス書「7つの習慣」では第2の習慣、「終わりを思い描くことから始める」に該当するかもしれません。
ちなみにこの言葉は「明徳」を明らかにするための手段として書かれています。
学ぶために大切な事とは「明徳」であるという事です。
何かを得るために学ぶのではなく、学びとは「明徳」を習得することであり、その結果として得たいものが手に入る、といった所でしょうか。
では「明徳」とは何でしょう?
大学の道は明徳を明らかにするに在り
「大学の道」とは「立派な人物になるための道」と捉えればわかりやすいかもしれません。
「明徳」については「天から授かった特性」といった訳がありますが、「利他の心」なんかが当てはまるような気がします。
「明徳」とはどういう事なのか。
まずはこれを習得する為に、一緒に『論語』を学んでみませんか?