令和に入って、「ハラスメント」が社会問題として話題に上る昨今。都市伝説やドラマの出来事なのではないかと思えてしまうくらいにエクステックはとても平和です。大阪本社しか見えていない中で安穏とするのは視野が狭いでしょうけれど、各社を転々としてきた身からすると本当に穏やかです。
何故この環境は維持されているのでしょう?
自社のことが不思議に思えてきました。相手を尊重して自分の意思も主張できる人間性を重視して採用しているからでしょうか。成果を伸ばすために「常に100%の力を出せ!!」と追い込むのではなく、「長くよい状態を続けていくために余裕をもっていましょう」とする経営方針のおかげなのでしょうか。
私事ではありますが、幼い頃からよく人の相談を受けてきました。と言っても、ひとしきり話を聞いて、一緒に考えて、過去の参考事例を伝えるだけなのですが。ハラスメント関連のお話で共通していると思うことが2点あります。ひとつが「価値観を押し付けること」です。「自分はこれをやってきて満足しているから、相手にとってもきっとそうだろう」と無意識に思い込んでいると食い違いから衝突事故が起きるのですよね。しかも発言している側は善意や楽しみ、何かしらの大義やポリシーを持っているので、なかなか取下げないし改めないケースが多いのです。悪気なんてないのに!と却って傷ついて自己を正当化させようとして引っ込みがつかず、平行線を辿って拗れていくように思えます。
ふたつめが「自分はこれだけ我慢しているのに、あの人はズルい」という他者と比較した際の自己肯定不足です。決して、その気持ちを否定するわけではありません。人には人それぞれの苦労がありますから。清廉潔白であろうとする人ほど「こんな気持ちを抱くなんて」とご自身を責めがちですが、誰よりもご本人が自分の味方であってほしいところです。問題は、劣等感の消化方法ですね。こちらが例えば「無視する」「嫌味を言う」などの行動へ発展してしまうと、ハラスメントに繋がるのです。手段を間違えた行き先とでも申しますか。少し考えれば「その人も別のことで悩んでいるかもしれない」と気づきを得られるかと思います。「あの人はあの人。自分はこうしよう」と自分の課題に取り組むことで前向きな行動へと進められます。ですが、これらも心にゆとりがあってこその考えでしょう。
「人は人、自分は自分」とは前提として、自分だけで解決できない時には、誰かに頼ることでゆとりを得られるものです。意外と自分の問題は、誰かにとっての問題でもあるかもしれません。ひとりよりも、ふたり、それ以上の「よいもの」に繋がっていくと考えると、何だかワクワクしてきますね。
(2024年7月10日 杉本)