『社長擬き(もどき)』
(2021年 8月 2日 福嶋)
去年の夏と今年の夏、どちらが暑いですか?毎年暑いので分からない。
「なぞなぞ」ではなく、本当にそんな感じです。体力を付けて夏を乗り切って
もらおうと蒲焼を沢山購入して社員さん達に持って帰って頂きました。
私も鰻は好きでたまに食べに行きます。関西、関東で焼き方は違います
がどちらも好きです。
関西は鰻の脂を落とさずに焼きますのでボリューム感があり体力回復と
いう感じです。一方、関東は一旦余分な脂を蒸して落としてから焼いたり
して、ふっくらであっさりした感じで夏バテの時にも食べ易いです。
実家が創業百数十年鰻屋さんをやっているという人と何軒も鰻を食べ歩き、
その人と私で一番美味しいと思うお店が一致しました。私の舌はあてに
なりませんが老舗の鰻屋さんが言うので間違いないと思います。
そのお店は東京日本橋にありエクステックの神田事務所から遠くないので
夕方頃に「今日は鰻の気分!」と言うと良いことがあるかもしれません。
特に大阪から出張で神田事務所に来ている人には確度の高い呪文だと
思います。
さて、さて。
新型コロナウイルスの感染再拡大を受けて本日から緊急事態宣言が
埼玉・千葉・神奈川の首都圏3県と大阪にも広がりました。期限は東京・
沖縄も含め31日との事ですがその時間で感染が収まるのか?かなり
厳しそうですね。
『社長擬き(もどき)』
四月に入社した新入社員の人達が外部研修を経て戻ってきました。
八月からは現場で沢山の事を学んで下さい。
諸先輩方よろしくお願いします。
私は優秀でなかったので新人時代にはとにかく自分を磨くのに沢山の
仕事をこなしました。自分の仕事だけでなく机をまわり余っている仕事
があればお願いをしてやらせてもらいました。
そんなこんなで量が質を生んだと思います。そのうちに色んな仕事を
任せてもらえるようになり、沢山の経験をさせて頂きました。
二十代、三十代はこれでもかというくらいエンジニアをしていたと思い
ます。私自身、充分納得できる価値のある時間でした。
37歳の時にエクステックを設立し、四十過ぎの時にはエンジニアを
やりながらの社長業は厳しくなり、社長業に専念を決めました。
エンジニアの仕事が好きでしたので最初は凄く寂しさを感じました。
社長業と言いながら小さな会社だったので最初は何でも屋さんでした。
営業、請求書、給与計算、振込み、契約、手続き、採用、資金繰り等々
今は営業や総務の人達がしっかりとやって頂いて任せっきりで時間を
取られることはありませんが一通り全て経験した事は大きな財産です。
そんな社長業ですが社長の経験がなかった私は社長業もエンジニア
時代に学んだエンジニアスキルの延長線上で行っていました。
エンジニアは構築の仕事でしたからこれを創るには何が必要か、どう
進めれば良いか、どのように解決すれば良いのか等の連続でしたから
エンジニア時代に学んだ事が役に立ちました。
それがあっているのか、間違っているのかはともかくとして、周りに
助けられながらも1年、3年、5年と会社を存続する事が出来ました。
当時、自分は社長に向いているとは思っていませんでしたが社長に
向いている事が一つだけあると言っていました。
それは、「食べて忘れる事、寝て忘れる事ができる」と言っていました。
ところが、会社設立から10年した頃から食べて忘れる事、寝て忘れる
事が出来なくなってきました。
経営という事に対して多くを学んだ事で知識や経験が増え、自分なりの
経営に対しての理解が出来たからだと思います。社長擬き(もどき)から
社長になった瞬間だと思います。
「食べて忘れる事、寝て忘れる事ができる」と言っていたのは社長に向いて
いたのではなく単に社長業をまだ分かっていなかったからだという事に
気がつきました。ただ、その分かっていなかった10年も無駄な時間では
なく、それを理解するのに必要な10年間だったのだと思います。
起業してから10年、20年、そして25年目に突入しました。
私自身、エクステックは良い会社だと思っています。「エクステックって
面白い会社ですね。」「エクステックって色んなことをやっていますが
何屋さんですか。」という事をよく言われます。
面白そうな新しい事にチャレンジをしますが社長業同様に全てITがベース
にある取組みです。エクステックはシステム屋です。
企業理念である“エンジニアがエンジニアであることを誇れる会社創り”は
大切な言葉です。
ITスキルは業種業態問わずのシステム開発や社長業、人生設計など至る
所に活かせる魔法の武器だと思っています。
沢山の事を吸収する事だけではなく、頭打ちや失敗することも何ひとつ無駄な
事はありません。新入社員君達、思いっ切り自分らしく頑張りましょうね。