単なる井戸端会議 パート29

『1970年』

風船
(2010年 5月10日 福嶋 昭)

『1970年』と言えば40歳半ば以上の方にはピンと
くる年だと思います。どんどん日本が変わっていく中
で大阪万博が開催された年です。

三波春夫さんが歌ったテーマ曲の中で「こんにちは。
こんにちは。…1970年のこんにちは。」という歌詞
があり、しっかりと開催された年が記憶されています。

上海万博のテーマ曲「2010は、待っている」は盗作
疑惑で少し水を差しましたが中国が世界をリードし
成長していく中で国の威信を掛けた上海万博に自
信と誇りを持って記憶に刻んでほしいと思います。

大阪万博が開催された当時、私は小学生でした。
パビリオンで一番話題になったのはアポロ18号が
月から持ち帰った石を展示していたアメリカ館です。
「芸術は爆発だ。」岡本太郎さん作『太陽の塔』も話
題になり印象に残るものでした。

大阪万博が開催されて40年が経過した今、振り
返ると日本が豊かになる為にみんなが頑張り時代
が大きく変わる時間の中を生きてきた事が分かり
ます。

山を登る事と一緒かもしれませんね。その時は登
る事に精一杯で分からなくても振り返って景色を
眺めた時にこんなに登ったんだと始めて分かる事
も少なくないように思います。

―― 『1970年』

この40年間で生活や習慣、考え方、技術も大きく
変わりました。

【庶民生活】
我が家でカラーテレビを買って、自家用車を持て
るようになったのは私が小学校の時で大阪万博
のあたりだと思います。
多くの小学校で給食が取り入れられたのもこの
頃だと思いますが、好き嫌いの多い私は大変で
した今のように嫌いなものは無理して食べなくて
もいいですよではなく、残さず食べなさいの時代
でした。

東京オリンピック、大阪万博と庶民生活にも少し
豊かさが出てきたというよりは頑張れば自分達
も豊かさを手に入れる事が出来るのだから頑張
ろうというような時代だったように思います。
父親は毎日6時過ぎには家を出て仕事に行き、
母親は深夜まで内職をしているような生活でした。

【民営化】
私が働き始めた頃は電話もNTTの前身である
日本電信電話公社でした。
通信の手段も見るみるうちに、「黒電話、プッ
シュホン、ポケベル、車載電話、携帯電話」等
と進化し続けています。
JRも日本国有鉄道でした。

【就業内容】
私が働き始めた頃でも週休二日制の勤務が
まだまだ採用されていない時代で、有休を取る
ことにも抵抗がありました。会社も休まず皆勤
をよしとする考え方が多かったように思います。
「終身雇用制」「年功序列」の考え方も強く、
とにかく時間を気にせずひたすら働きました。

有休や振替休日を有効に活用し余暇を楽しん
だり、普段経験出来ないことに時間を使うこと
には賛成です。
ただ、豊かになるにつれ我武者羅さがなくなり
他国との競争で日本が弱くなっていくのを感じ
ています。

定年も今は60歳から65歳へと雇用期間が
延びていますが当時は55歳でした。
経済が回復すると少子化による労働力不足と
年金破綻で数十年後には定年制が廃止になる
かもしれませんね。

【消費税】
私が働き始めた頃には消費税はなく、89年
に導入が行われました。当時、IT屋さんは
システムの対応に追われました。
96年には消費税が更に3%から5%に上が
りました。この数年の間にまた消費税が改正
されそうですね。

当時私が担当していたシステムではヨーロッ
パの消費税を参考にし、商品毎に消費税率が
変わってもいいようにしてあります。
もう少し消費税率が上がると出番があるかも
しれませんね。

【漢字変換】
ひらがなで入力し漢字に変換。ごくごくあたり
前の機能ですが私がソフト開発の仕事に携わった
頃は英数字が主流で漢字が出てきた頃にも漢字
変換用の辞書を引いて1字1字4桁のコードを
打ち込んでいました。

他にも生活や習慣、考え方、技術の変化をあげ
れば切りがありません。
これからもどんどん変わっていくと思います。
今から40年後は90歳になります。時代に
よって価値観や求められるものも変わると思い
ますが、変化してはいけない事、変化しないと
いけない事をしっかりと見極めていきたいと
思います。

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